神社に神様はいない
ミナミAアユタールのYou Tube超次元ライブという動画を見ました。
神社に神様はいない。
私にとって天地がひっくり返るほどの内容の動画です。
しかし、何となく「そうかもしれない・・・・」という腑に落ちる思いがしました。
昨今の神社ブームで神社参拝に行く人が多くなり、どこそこのパワースポットはとても凄く、願い事を叶えてくれる。等々。
私ももう何十年と神社参拝をしてきました。
神社には神様がいらっしゃって、すべての人の安寧と幸せを叶えてくれる。
そう思うようにしていました。
そう思うようにしていた。というのは、常に神社に参拝で訪れる時に感じていた不気味な空気を無理やり払拭するため、自分に言い聞かせていたからです。
確かに木々が生い茂って、自然に触れる感覚は気持ちが良いのですが、鳥居をくぐる前からくぐった後に感じる不気味な雰囲気は常に感じていました。
・・・・・?私がおかしいんだろう・・・。
神社参拝に訪れる人達はそんなことは全く感じていないはずだし。
と思い込むようにしていました。
だからこの動画を見て「あ~やっぱりな・・・」
と腑に落ちたんです。
感覚的なことなので、説明のしようがないのですが神社参拝に訪れて拝殿で拝んでいても、心から落ち着くということが今までありませんでした。
できれば、一刻も早くこの場所から出たい・・・。
という心の叫びみたいなものを無理やり理性で押さえつけ、いやいやこの場所は素晴らしい聖域なんだ。と思い込むようにしていたんです。
こんな事を書いていると馬鹿なやつだというお叱りは承知で書いていますが、感覚は人それぞれですから。
この超次元ライブ以外のYou Tube動画でも沢山神社の御利益についてとか、この神社の神様(天狗とかEtc)はこんな事を言っている。等々を紹介する動画があります。
しかし、今この「神社に神様はいない」という動画を見て腑に落ちてから、全く興味がなくなってしまいました。
神社で受け答えするような存在は様々な存在、眷属等だということだということも何となく理解できます。
私たちと同等あるいはそれ以下の波動の存在であり、単に生存する次元が違うだけの存在との契約。
お賽銭等を渡すことで、その私たちには見えない存在と契約を結ぶということです。
もともと、神様という存在自体がいないので、神と偽った存在との契約となってしまいます。
願い事をお願いすることで、そういう願い事をした人が一時上昇し最終的に落とされる。
その落とされた時のショック、衝撃の波動を眷属等が楽しく神様と偽り契約という形をとっているということです。
なぜ、お賽銭を渡さなければならないのか?
なぜ、有名な神社は生贄の儀式があったのか。
今まで頑なに信じ込もうとしていた私の目が開きました。