orengenoteの日記

音楽と人生について気ままに書いてます。

どうしたらいいのか・・・・

  最近アルーナ暁子さんという人のYou Tubeを見て、とても心が痛い。

「あなたは自分の人生を生きていますか?」と問われると、正直「生きていません。

」としか言いようがありません。

 

たとえば、大食いのYou Tuberを見て、体は大丈夫だろうか?と心配になってしまう自分は、彼、あるいは彼女の様に、どんなことでも真剣に自分の人生を生きているか?と言われると、人のことを心配している場合じゃないな・・・。と思ってしまいます。

 

 今、私は私がやりたいことを本気でやっているか・・・

楽しいと思うことをやっているか・・・

いつ死んでも悔いはないと言えるか・・・・

 

さみしい限りです。

 

量子力学である程度証明されているという、人の数だけ宇宙がある。

あなたが見ている世界はあなただけの世界で、あなたがすべてを作っている。

そう、私が今目の前に見えている状況だけが、今の私の宇宙のすべて。

 

私が見ていないものは、私の頭の中の想像にあるだけで、本当は何もない波動でしかない。

私はいつも、楽しくないな・・・。

嫌だけど仕方ない・・・。

行きたくないけど仕方ない。

仕事も嫌で嫌で仕方ないけれど仕方ない。

そういう仕方ない。

これをしなければ生きていけないから・・・。

と思い込んでいる。

だから現実として現れ、それを結果的には自分で望んでいることになっている。

ここから脱出して、アルーナ暁子さんが言うように自分の足でしっかりと立ち、自分の意志で楽しく生きていきたい。

このジレンマからどうやって抜け出したらいいのか・・・。

そういつも思っています。

 

私たちは、コンピュータゲームの中で生きている。

アルーナ暁子さんは言う。

最近はバグが多くなってしまって、とてもおかしな状況になっている。

とも言っています。

 

 そういえば、私も、最近遠くに見える山並みが、はっきりと鮮明に見えるのは、どう考えてもおかしいと思うようになっています。

 

 近くの景色は確かにはっきり見えて触れることもできるけれど、遠くの山並み、頂上も同じようにはっきりと見えるのは距離的に不自然じゃないのか・・・。と。

 

もしかしたらこれは張りぼてなんじゃないか?

 昔、銭湯で見た富士山の大きな壁に描かれた絵のようになっているんじゃないか?

と思うようになりました。

 

この世界は数字ですべて表せられると言われています。

コンピュータゲームの世界であり、誰かが作ったゲームの中にいるキャラクターだとしたら、遠くに見える山並みなど、ゲームのプログラム上では重すぎるから、簡素化するため、とりあえず見えたようにするための張りぼてで十分だろうと。

 

しかし、その山並みの麓に行ってみると、それは現実としてプログラミングされ、はっきり見て触れることもできる。

 

しかし、プログラム上簡素化するため遠くはあくまで非現実的な張りぼてになる。

 

私たちはいつも、頭(脳)で考えているだけで見えているものも、見たいと思うから見えるのであって見たいと思わなければ決して現れることはない。

だとしたら、やっぱり自分が楽しく生きている!と言える世界に住みたい。